Learn English through Actingについてインストラクターから(全文)

LEARN ENGLISH THROUGH ACTING ~国際派俳優と学ぶ英会話

Hi, I am Minorou.
Some of my friends in Germany called me Minorou the Bohemian.

僕の名前はミノルです。
ドイツで、友人たちのなかに僕を“Minorou the Bohemian”と呼ぶものがいました。

もちろんドイツ語でしたから、“Minoru der Bohemien”でしたが….

“ミノル”はローマ字で“Minoru”ですが、なぜ僕が“ミノル”を“Minorou”と綴るのかというと、これにはわけがあります。

* 1967年 舞台デビュー

今から51年前の1967年、僕はドイツでミュージカルに出演していました。主役の1人として。そうです。僕は50年以上前にドイツで舞台デビューし、ヨーロッパで舞台の仕事をしてきた役者です。仕事は日本でもしました。アメリカでもしました。

* ミュージカル “HAIR”

この、51年前にドイツで僕が出演していたミュージカルの題名は
“HAIR・ヘアー”というのですが、戦争に反対するニューヨークのヒッピーグループの物語で、ヒッピーとは、伝統や制度、既成の価値観にとらわれず、自然界と調和した生き方を唱えたり、そして、当時アメリカが化学兵器をも使って推し進めていたとても醜いベトナム戦争に“フラワーパワー”といわれた非暴力運動で猛反対するなど、ヒッピーとは反体制で、自由奔放な生き方をしていた“愛と平和・Love & Peace”を求める若者たちのことです。
このベトナム戦争に“武器ではなく、花を”というスローガンを唱えて反対したヒッピーたちは“フラワーチルドレン”とも呼ばれました。

結局ベトナム戦争はアメリカが敗北して終わるのですが、アメリカが初めて戦争に負けるなど、ヒッピームーブメントは当時の世界に大きな衝撃と影響を与えました。
そして、このミュージカル“HAIR”は、ブロードウエイ史上初めてロックの音楽を使ったロックミュージカルで、ブロードウエイ史上初めての反戦、つまり、反体制ミュージカルでした。

僕は、このミュージカル“HAIR”でニューヨークのヒッピーグループのリーダー、Berger・バーガー役を演じていたのです。

普通のお芝居の世界では、みなさんご存知ないかもしれませんが、上下関係がはっきりしています。楽屋は、世界中どこでも同じですが、1番の主役の人が1番いい個室の楽屋を使い、次の主役の人が次にいい楽屋を与えられ、役が小さくなるに連れ楽屋は小さくなったり、2人部屋になったり、4人部屋になったり、その他の役者たちは男女に分かれて大部屋を使うのが習わしですが、このヒッピーミュージカル“HAIR”では、僕ら出演者はみなヒッピーだったので、人種差別や性差別に反対し、階層型組織構造や社会的上下関係の仕組みなどに反対するヒッピーの思想から、主役もその他の者も、また女性も男性もみな一緒に大部屋を使い、シャワーも男女共同で使うなど、舞台裏でもみな平等でした。

* DONNA SUMMER / ドナ・サマー

楽屋の僕の隣の席にはアメリカのボストンからきたドナ・ゲインズ・Donna Gainsという当時まだ19歳だった女の子がいました。素晴らしい声の持ち主で、歌がものすごく上手な子でした。

*ミニュリュ

このDonnaは、僕の名前“MINORU”を、カタカナで書くのは難しいのですが、“ミヌラ”としか発音できませんでした。ドイツ人はみな“MINORU”を“ミノル”と読めるのですが、英語圏の人はまず“MINO”の部分を“マイノ”と読んでしまい、“RU”の部分のところで感覚的に“マイノ”につながらないので困り、“RU”を“ル”と読めず“ラ”になってしまうので、“マイノラ”や“ミヌラ”と読んでしまいます。Donnaも英語圏のアメリカ人なので、“ミヌラ”と読んでしまい、“No Donna, it’s MINORU, MI・NO・RU”というと、今度は僕のいう“MI・NO・RU”を真似するのですが“MINORU”のspellが頭を離れないのか混乱してしまい、“ミニュリュ”となってしまいました。このDonnaは、偶然なのか、何かのシステムによるものなのか、どうしてだかは分かりませんが、公演先どこへ行っても楽屋の席は僕の隣になり、また仲良しグループの1人だったので、いつも一緒にいましたが、僕は最後まで“ミニュリュ”と呼ばれ続けました。
Donnaは後に“ドナ・サマー・Donna Summer”というステージネームで、ディスコミュージック全盛時代の当時ディスコクイーンとして何曲も大ヒットをとばし、グラミー賞を5回も受賞した世界的な大スターになりました。残念ながらDonnaは2012年ガンで亡くなってしまいました。

* 放浪、あっちこっちへ行きました。
そして、fromドイツtoロンドンand to ニューヨーク

僕は、役者として本格的に舞台の仕事に就く前は前衛の舞台などに関わりながらイタリアンレストランのウエイターや、映画の撮影現場の裏方、社交ダンスの先生などいろいろなアルバイトをして学校に行きました。学校には行きましたが、できるだけサボりました。サボってヨーロッパのいろいろなところへ旅しました。ドイツ国内や周辺の国々はもちろんのこと、特に好きだった南フランスのコートダジュールCôte d’Azurからイタリアにつながる地中海沿岸のリヴィエラRiviera、トリノ、ローマ、アルプス山脈の麓ボルツアーノやムラノ、そして、アフリカや中近東でもウロウロしていましたが、後に役者になってからもあっちこっち行って、スペインのイビサ島やオランダのアムステルダムではかなり長い間ブラついていました。後にドイツからロンドンに移住したのですが、英語圏のロンドンでも僕の名“MINORU” は“ミヌラ”と読まれ、ロンドンから移住したニューヨークでも、ニューヨークは英語圏アメリカですので、僕のローマ字で綴った名“MINORU”は“ミヌラ”と読まれるのです。

* MINOROU

そこで、英語圏の人たちに“Minoru”を“ミノル”と読ませるにはspellを変えなければならないと思い、“Minorou”と綴ったところ、やっと“ミノル”に近い発音で読んでもらえるようになったのです。それ以来、特に英語圏の人たちには僕の名を“Minorou”とspellすることにしています。

* Minorou the Bohemian

この“the Bohemian・ボヘミアン”とは、チェコのボヘミア地方の人のことですが、もう1つは、19世紀のフランス、特にパリで、画家や詩人など芸術家たちとそのアートシーンやマーケットを牛耳ってコントロールしていた社交界、つまり“salon・サロン”と呼ばれた芸術家を支える裕福なパトロンを中心にアートディーラー、ギャラリーのオーナー、批評家などでなしていた芸術界の権威構造に反抗し、アートは急進的・radicalでなければならないと社交界から距離をおいて創作活動をしていた芸術家の一派のことを“Bohemian”と呼んだことから、急進的な芸術家や、さらに、絵画や文学などのアートに興味をもち仕来たりなどに捉われず自由奔放に生きる人のことを指す言葉になりました。ジャコモ・プッチーニ・Giacomo Puccini作曲の“ラ・ボエーム・La Bohème”は、この時代のパリの“ボヘミアン・アーティスト”を題材にした有名なオペラです。
なぜ、ボヘミア人が放浪者と思われたのかというと、“Roma・ロマ”や“Romani・ロマニ”とも呼ばれる“Gypsy・ジプシー”がチェコのボヘミア地方の人たちだと当時思われていたからです。ジプシーは、今から1000年くらい前に現在のインドの北部やパキスタンあたりから西へ西へと移動して行った部族で、トルコあたりから東ヨーロッパへ向かった人たちと、北アフリカを通ってモッロコからスペインに渡った人たちです。スペインに渡った人たちは“フラメンコ”を演奏するジプシーで有名です。アルプスより北のドイツやフランスには東ヨーロッパへ向かったジプシーが入ってきて、定住せず移動して生活するジプシーはチェコのボヘミア地方からきたのだと思われ、ジプシーは“ボヘミアン”と呼ばれたのです。そして、ジプシーだけではなく、自由奔放に生きる人や放浪者を指す言葉となり、そのうちに“Bohemian”は“フーテン”という意味になっていきました。

* 実家を失う

僕は、日本で中学校を終えると、家庭の事情で、この家庭の事情の話しをすると長くなるので控えますが、家から出なくてはならなくなりました。家から出てドイツへ行った、というか、行かなくてはならなくなったのです。60年以上前の太平洋戦争が終わったころの話しです。
東京の家を出てドイツへ行くために羽田空港に向かったのですが、当時はもちろん成田空港などなく、アメリカ空軍に占領された羽田空港しかありませんでしたが、そのとき羽田空港へ向かうため家を一歩出たその瞬間から、僕は実家を失いました。その瞬間から帰るところを失ったのです。それ以来、ドイツでは賃貸アパート暮らし、何回も引っ越しましたが、いつもアパート暮らし、ロンドンに移住してもアパート暮らし、ニューヨークでもアパート暮らし、そして、日本に帰ってきた今もアパート暮らしです。中学を終えてから今日まで、実家には一度も戻っていません。ドイツでは、そんな僕の境遇から、つまり実家を失って帰るところのない風来坊という意味で、僕のあだ名はドイツ語で“der Bohemien” 英語では“the Bohemian”、早くいえば“フーテン”となったのです。
だから、僕は“フーテンのミノル”というわけです。

* 大勢の外国人

“ボヘミアン”と呼ばれてから、かなりの年月が経ちました。
それにしても、日本は変わりましたね。新宿や池袋に行っても、銀座に行ってもたくさんの外国人がいます。渋谷なんか、外国人の方が日本人より多いくらいです。スーパーマリオの衣装なんか着ちゃってゴーガードを乗り回したり、今、日本には多くの外国人がやってきています。アメリカ人やカナダ人、カリブ海諸島、イギリス人、アイルランド人、スコットランド人、オーストラリア人、ニュージーランド人など英語圏の人だけではなく、スエーデン人、ドイツ人、イタリア人やスペイン人など英語圏ではないヨーロッパ諸国やロシアから、そして、アフリカや中近東諸国、中南米や南米、インドやパキスタン、インドネシアやマレーシア、シンガポール、タイやベトナムなど東南アジア諸国から、台湾から、韓国から、そして、特に多くの中国人がやってきています。

英語圏の国からきている人たちはもちろんですが、多くの英語圏ではない国からきている人たちも、日本にくると日本語のできる人以外はみな英語を使ってコミュニケーションを取っています。

* インドネシア TV / a Polish and a French in Shibuya

今年の4月から5月にかけインドネシア民放のテレビ局SCTVがやってきて山梨県の北杜市というところでドラマの撮影をしました。太平洋戦争が終わってインドネシアと日本が友好関係を結んでから2018年の今年が60年目だそうで、インドネシア日本友好関係60周年を記念して日本でドラマを撮影するということになったのです。そのドラマには僕も役者として出演もしましたが、撮影前にプロデュサーを僕の車に乗せて河口湖から北杜市までロケ地を視察したり、準備段階からいろいろお手伝いをしました。そのプロデュサーはシンガポールの大学を出ていてとても英語が堪能でした。

そして、いよいよやってきた20人ほどのSCTVインドネシアテレビのクルーは、訛りはあるものの、ほとんどみな英語ができました。2日ほど遅れて役者さんたちもきましたが、みな英語が堪能でした。主役の俳優は背が高くてハンサムなインドネシアでドラマのプリンスと呼ばれる大スターでしたが、とてもシャイな人で、しかし、流暢な英語をしゃべりました。女優さんも英語が堪能でした。カナダで映像の勉強をしたという監督も流暢な英語をしゃべりました。他にも流暢に英語をしゃべる人もいましたが、そんなに流暢でない人もいたり、しかし、大なり小なりみな英語をしゃべりました。短期間に撮影しなければならないので、現場は大騒ぎで大変でした。山梨での撮影が終わり、東京に戻って、東京でも少し撮影がありましたが、時間をつくってみな渋谷や原宿に買い物などに行きました。僕も一緒に渋谷に行きました。渋谷のある店の前で2人の30代後半のヨーロッパ人が英語で会話していました。英語の発音から1人はフランス人で、もう一人はたぶんポーランド人だと思います。そのポーランド人とフランス人の男性は、インドネシア人が僕と英語で会話していたように、彼らも英語で会話していました。今や、英語は世界のコミュニケーションツールになっているのですね。

渋谷にいたポーランド人とフランス人のしゃべる英語の文法はいいかげんなものでした。特に、そのフランス人の英語の文法はかなりいいかげんでしたが、2人とも冗談をいって笑ったり、お互いにコミュニケーションは立派に取れていました。彼らの英語は、それぞれの国の訛りはあったものの、特にフランス人には強い訛りがありましたが、会話はちゃんと成り立っていました。それは、訛りはあっても、彼らの母国語の文字はアルファベットから成り立っているので、アルファベット一つ一つの性質や基本的な発音を知っていることや、また欧米人が普段何気無く使っているいろいろな欧米人共通のゼスチャーを交えて、お互いに英語でコミュニケーションが取れていたのです。

* ESPERANTO

昔は、エスペラント語というラテン語をベースにした人工的な言葉が編み出され、国際補助語・International auxiliary language、つまり、世界共通語にしようとする運動がありました。この1800年代にロシア人Eliezer Ludoviko Zamenhofにより創案されたエスペラント語は、現在でも世界に100万人程度話せる人がいるそうですが、ある程度の成果はあったものの、世界共通語として定着しませんでした。

* 英語は世界のコミュニケーションツール

そして、今やそれに代わって英語が世界のコミュニケーションツールとなり、世界の人たちが英語をしゃべるようになりました。そのような世界のコミュニケーションツールとなった英語ですが、 決してみなが文法的にしっかりした英語をしゃべっているわけではありません。もちろんちゃんとした文法で英語をしゃべる人も多くいますが、かなりいいかげんな文法で英語をしゃべっている人が大勢いて、みな問題なく世界を旅しているのです。

* 日本人の英語・文法と発音

一方、日本人は英語を文法的に正しくしゃべろうとします。しかし、文法に意識をとらわれ過ぎて会話できる状態になかなかならないのが実情ではないでしょうか。ただ、渋谷にいたポーランド人やフランス人のように文法はいいかげんでも、相手が理解できる発音で英語をしゃべれば、コミュニケーションは取れるのです。
反対に、いくら文法通り正しく英語をしゃべっても、相手が分からない発音でしゃべっていてはコミュニケーションなど取れません。

もちろん文法は重要で、文法を無視することはできませんが、つまり、文法と同じくらい、または、それ以上に外国人が理解できる発音で英語をしゃべることが重要なのです。それには、先ずアルファベットの性質と基本的な発音をしっかり理解することです。

* L & R

例えば、ラリルレロはあっても、日本語には(L)と(R)の両方がないので、(L) や (R) のある単語がうまく伝わらないのです。
これは英語だけではなく、(L) も (R) もあるドイツ語やイタリア語も、またインドネシア語も同じです。(L) と (R) のない言語は、世界でも中国の一部の言葉と韓国語、そして日本語です。つまり、東アジアですね。アメリカインディアンのなかに (L) と (R) のない言語をしゃべる部族がありましたが、今はその部族の人たちもみな小さいときから英語をしゃべるようになりその言語はほぼ消滅してしまいました。

* ドイツ語では ( L) も (R)) も“エル”

余談ですが、ドイツ語では (L) も (R)も 両方とも“エル”と発音しているように、日本人にはそう聞こえます。
ドイツ語の (L) はカタカナで書けば“エル”で、(R) もカタカナで書けば“エル”ですが、もちろん発音はまったく異なります。
(L)も(R)もない言語をしゃべる人にはどっちがどっちだか分からず、これには、日本人や韓国人の留学生は苦労していました。

英語では、

fly / fry 飛ぶ / 揚げる
long / wrong 長い / 間違っている
load / road 負担、積み込む / 道
light / right / write  あかり/ 右、正しい、書く        
flight / fright 空の旅 / 恐怖
lock / rock   鍵 / 岩
liver / river 肝臓 / 川
lice / rice シラミ / 米
lead / read 導く / 読む
lane / rain レーン・小道 / 雨
collect / correct 集める / 正しい
play / pray 遊ぶ / 祈る

まだまだありますが、こんなにも (L) と (R) を間違えるとまったく異なる意味になってしまう単語があります。

* (L)&( R)そして(a)(c)(f)(v)(p)など

(L) と (R) 以外にも、これはドイツ人も苦手な日本語にない音で(th)、そして (a)、日本語にアイウエオの(ア)はあっても特に英語の(a)はありませんね。他にも (c) (f) (p) (s) (v)など日本語にはありません。

* “SIT” & “SHIT”

例えば、“sit”を“シット”と発音する人が多くいます。
東京の麻布には多くの外国の駐日大使館や公使館があり、多くの外国人が住んでいます。いつでしたか、かなり前のことですが、僕が麻布の広尾を散歩していたとき、有栖川公園の入り口に犬を連れたカッコいい若い日本人女性がいました。その女性は犬に“シットシット”と叫んでいて、たまたま近くにいた外国人のカップルが初めは驚いていましたが、それから笑って見ていました。その若い日本人女性は、もちろん“座れ”いう意味で犬に“sit「シット」”と叫んでいたのです。“座れ”は“sit”で、発音をカタカナで書くことは不可能ですが、それをあえて書けば“スィッ”に近い音で、“シット”と発音すると“shit”になってしまいます。
尾籠な話で大変申し訳ないのですが、“shit”は卑語で、何か失敗したときなどにいう日本語の“クソ!”とか、名詞で“クソ”、または動詞で“クソする”、または“クソしろ”という命令形になってしまいます。その若い日本人女性が犬に向かって“シット「シット」”と叫んでいて、側にいた外国人が驚くのも無理ありませんね。犬を相手に叫んでいたからまだいいようなものの、自宅に招いたお客さんに“Shit please”などといったら恥ずかしいことになります。発音も、気をつけないと大変なことになるのです。いかに発音が大切かということです。

ちなみに、“shit!”は、何か失敗したときなどとっさにいう“クソ”となりますが、あまり使わない方がいい言葉です。一般的に糞便は“feces”といい、子供に“ウンチ”とかいうときもちろん“shit”など使ってはいけません。そのようなときは“poo・プー”を使いましょう。

* アルファベットの発音

ですから、まずアルファベットの音をしっかり発音できるようにならないといけません。
反対に、アルファベットの音をちゃんと発音できれば、単語を並べるだけでもある程度意思は通じます。
渋谷にいたポーランド人やフランス人は自分たちの言葉に(th)の発音がなかったり、フランスでは (h) を発音しないということはあっても、アルファベットの性質と基本の発音を知っているので、強い訛りがあっても、お互い理解できるのです。

* カタカナ英語

日本人は英語や外国語の発音をカタカナで記す習慣ができてしまい、このカタカナ英語が厄介者です。まず、このカタカナ英語を完全に忘れなくてはなりません。

* 映画やテレビドラマ & AFN

英語で会話するには、相手のいっていることを聴き取れることと、こちらのいっていることを理解してもらうことが大切です。
聴き取ることに関しては、何しろ英語を聴くことで耳を英語に慣らさなければなりません。英米など英語圏の国の映画やテレビドラマ、ドキュメンタリー映画などの音声を原語にして鑑賞したり、米軍のAMラジオ放送“American Forces Network AFN”を聴いて耳を英語に慣れさせ、英語を聴き取れるようにすることを勧めます。特に、このラジオ放送AFNはネットでも聴けるので便利です。

人は、自分が発音できない音は聞き取れないそうです。ですから、やはり発音できるようにならなければなりません。

* 早道で効果的

一方、こちらのいっていることを相手に理解してもらうには、相手が理解できる発音でしゃべらなくてはなりません。
それには、カタカナ発音を使わず、我々日本人がまず(L)や(R)、(th)(a)(f)(c)(p)(s)(v)など、そして、他のアルファベットの音を発音できるようになって英語を英語風にしゃべるのが、英語でコミュニケーションできるようになる早道で効果的だと信じています。

* 英語のもつリズム

アルファベットをベースにした英語を英語風に発音するのが一番いいのは当然で、これは大切なことです。そして、英語を英語風にしゃべるには、英語のもつリズムでしゃべらなければなりません。
どの言語にも、その言語のリズムがあります。日本語にも日本語のリズムがあります。単語の最後と次の単語の頭をつなげて発音することが多く、それもリズムをつくる1つの要因です。
英語を英語風に発音し、英語のもつリズムでしゃべる感覚を覚えことが望ましいのです。
* 恥ずかしがる日本人

ただ、日本人には、日本人特有の、英語を英語風に発音することを恥ずかしがるクセというか、国民性があります。
できるくせに、わざわざカタカナ英語をしゃべったりします。
英語を英語風な発音でしゃべるとキザに見られたり、軽々しく思われるんじゃないかと心配します。
まず、この恥ずかしがることをやめなければ始まりません。

この“Learn English through Acting”の集いでは、本当はあまり良くない「赤信号、みんなで渡れば怖くない」のように「キザ英語、みんなでしゃべれば何ともない」のモットーでいきたいのです。

しかし、発音を良くしたいなら、矛盾することをいいますが、発音を間違っても気にしないこと。始めは間違っても気にしない。その上で、耳で聴いたように発音する。言葉やフレーズを音で覚える。
何語でもそうですが、英語はネイティヴの英語風な発音でしゃべるのが一番いいに決まっています。
ただ、その英語風の発音を少々間違っても (L) や (R)、そして (th) (a) (c) (f) (p) (s) (v)、また他のアルファベットをその性質通りちゃんと発音できれば、渋谷にいたポーランド人やフランス人のようにいくら訛りがあっても相手に通じます。

まずは。絶対に英語をカタカナ文字に置き換えない。
発音記号をちゃんと覚えるなら、これはもちろん別です。
自分流の、独自の発音記号を考案してもいいでしょう。
しかし、絶対に発音をカタカナでは書かない。
これは鉄則です。
* “wheel”を “ホイール”と発音すると通じない!

(wh)で始まる言葉を、例えば“輪”という意味の“wheel”を日本では“ホイール”とまったく間違って発音し、外国人には解りません。これは、“wheel”を“ホイール”と誰かが書き始め、そのまま受け継がれてきてしまったカタカナ英語のカタカナ発音からくるのです。
しかし、この (wh) は、“who「」 what「」where”など会話に必要な単語に使われているので、(wh)の発音は重要です。
だから、カタカナ発音はもう使わないようにしたいのです。
このようにして、英語を英語圏の人に近い発音でしゃべってもらうのが“Learn English through Acting”の集いの目標の一つです。

* アメリカ人を演じてもらう

そこで、みなさんに演技をしてもらいたいのです。
みなさんに英語圏の人を演じてもらいたいのです。
ここでは、アメリカ人の役を演じ、アメリカ人を演じるという演技ですから、セリフは英語です。そして、演技ですから、英語のセリフをアメリカ人風にしゃべってもらわなければなりません。

* Body Language

また、演技はセリフをしゃべるだけのものではなく、身体全体で表現するものなので、身体の動きや身振り手振り、ゼスチャーもアメリカ人のもので演じてもらいます。

例えば、日本で “こっちへこい”というゼスチャーは、手招きです。この手招きの手を伸ばす動きは、欧米では“あっちへ行け”というゼスチャーになります。この手招きのゼスチャーを繰り返して行うと、日本では“こっちへこい”という意味になり、欧米では“あっちへ行け”という意味になってしまいます。つまり、正反対なのです。もし、英語で“Come over here”といいながらこの手招きのゼスチャーをしたなら、言葉では“こっちへこい”といい、ゼスチャーでは“あっちへ行け”ということになってしまうのです。

渋谷にいたポーランド人もフランス人も、両国共通の、欧米人が普段何気無く使うゼスチャーを交えて会話していたので、そんなこと彼らは意識もせず、お互いコミュニケーションが取れていたのです。

つまり、英語は世界のコミュニケーションツールなので外国人とのコミュニケーションは英語が手っ取り早いこと。
しかし、文法通りにしゃべることよりも先ず相手が分かる発音でしゃべった方が意思は伝わること。
だからといって、もちろん文法を軽視するつもりはありません。
さらに、世界で通用するボディ・ラングエージ、つまりゼスチャーを交えればなお有利ということなのです。

* “yes” & “no”

また、“yes” と“no” の使い方、というか、“yes”と“no”の意味をよく知らないと、何をいっているのかが分からなくなってしまいます。

“Don’t you want this?”
“これ、ほしくないんですか?”と聞かれたとき、日本語でなら、
“はい、ほしくないです”と答えます。
日本人は、相手のいうことを真っ向から否定せず、“はい、あなたのいう通りです。わたしはほしくないです”という日本人の心遣いから、先ず “はい”というのです。

しかし、英語で“Yes, I don’t want”というと、欧米では、“はい、ほしいです。わたしはほしくないです”という意味になってしまい、どっちなんだか分からなくなってしまうのです。

英語ではこの場合“No, I don’t want it”といわなければなりません。
この“no”は、“ほしいかほしくないか”に対しての“no”なので、“No, I don’t want it”になるのです。
これら“yes”も“no”も、とっさに出てくるようになれば、会話はスムーズに運びます。

* sarcasm

欧米では、英語圏以外の国でも、日常の会話はユーモアがベースになっていることが多く、ユーモアは“sarcasm”がベースになっています。この“sarcasm”は、いっている言葉で反対の意味を表現することが多くあります。
ユーモアでの“sarcasm”は、ちょっと皮肉って場を和ませるためのことで、決して相手を傷つけてはいけません。

“繭久里カフェ・Cucuri Café”と“繭久里驛・Cucuri Culture Station” で行う“Learn English through Acting”は、この“sarcasm”なども交えた英語のセリフをしゃべる“skit・寸劇”や、お店や病院やいろいろな職場でのやり取りを英語で演じたり、また、英語でゼスチャーゲームをしたり、演じることを楽しみながら英語をしゃべる集いです。興味があれば、もっと詳しくお話しできるので、一度、遊びにきてください。

僕は、あまり学校での勉強が好きではありませんでしたが、その代わり世界をあっちこっち旅して歩きました。中学を出て、60年間も世界をウロついてくると、この世のものとは思えぬ壮大な自然や、さまざまな素晴らしい人たちとの出会いがありました。

神秘的なサハラ砂漠の地平線まで続く砂丘、赤い風が吹くケニアの砂漠のなかの湖、まるでプラネタリウムのようなタヒチ島の星空などは忘れられないものです。また、モロッコのマラケシュで出会ったベルベル人やジャマイカのラスタファたちと過ごした時間も強く心に残っています。アメリカでは、西海岸から東海岸までいろいろ見て歩きましたが、ルイジアナのクリオールの世界、ニューヨークのアフリカ系の人たちの世界ハーレム、そして、ヴードゥーが未だ行われているハイチ人コミュニティーなどは強く印象に残っています。しかし、何といってもアメリカでは南西部の先住民プエブロやナヴァホの地が格別です。あるプエブロ・ホピの尊老との出会いが僕の人生に大きく影響を与え、“人の意識”や“心と魂”、そして、“人の意識と心身の健康”などについての考えを深めてきました。
“意識”は、人生を左右するものです。しかし、“意識”は普段眠った状態にいます。このマインドを支配する“意識”を目覚めさせ、コントロール力を持たせなければマインドは暴走し、不幸せな結果を招いてしまいます。物的欲望を増大させ人間の本質を見失っていた20世紀も終わり、忘れかけていた精神性を取り戻すため21世紀は新たにデザインされなければなりません。それは、われわれ地球人の一人一人に課せられているのです。世界の人たちが同じ価値観を共有し、21世紀を共にデザインしていかなければなりません。
それには、世界のコミュニケーションツールである英語でみんなが会話できるようになることが望ましいのです。2020年には東京でオリンピック・パラリンピックが開催されます。この21世紀を新たにデザインする価値観を世界の人たちと共有するいい機会となるでしょう。

“Learn English through Acting”の他にも、お芝居と演技を本格的に学んでみたいという要望があれば、50年以上の経験を通し知り得たことを受け伝える場をつくります。また、僕の体験してきたこと、旅で見てきたこと、聴いてきたこと、教えられた多くのことなど、そして、“意識と心身の健康”のお話し、また、そのためのエクササイズやメディテーションなどの時間も設け、自然との調和を考えながら創作活動を行っている靴職人の仲間の靴作りや幸せホルモンの分泌を促す食べ物作りの教室などとのコラボレーションで幅広くcultural activitiesを展開できればと思っています。

Doesn’t it sound like lots of fun?
So folks, join us and have good times!!

Minorou the Bohemian

LEARN ENGLISH THROUGH ACTING ~国際派俳優と学ぶ英会話